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所長マイクのブログ,2019年ブログ2019/11/01
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科学的か否かには、証明が必要です。
科学的か否かには、証明が必要です。
「科学的に証明された治療法です」となれば安心です。
では、科学的に証明されていない治療法は、非化学的かどうか。
それも証明されないとなりません。
つまり「この治療法は科学的ではないことが証明されています」と。
もしも、それを証明できていなければ、科学的か否かは不明ということです。
世界五分前仮説(せかいごふんまえかせつ)をご存知でしょうか?
世界五分前仮説(せかいごふんまえかせつ)とは、「世界は実は5分前に始まったのかもしれない」という仮説です。
この説には様々な見解がありますが、とりあえず「ウィキペディア(Wikipedia)」からの抜粋を掲載します。
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世界五分前仮説(せかいごふんまえかせつ)とは、「世界は実は5分前に始まったのかもしれない」という仮説である。
哲学における懐疑主義的な思考実験のひとつで、バートランド・ラッセルによって提唱された。
この仮説は確実に否定する事(つまり世界は5分前に出来たのではない、ひいては過去というものが存在すると示す事)が不可能なため、「知識とはいったい何なのか?」という根源的な問いへと繋がっていく。
たとえば5分以上前の記憶がある事は何の反証にもならない。
なぜなら偽の記憶を植えつけられた状態で、5分前に世界が始まったのかもしれないからだ。
以下、ラッセルの文章〜〜〜〜〜〜
世界が五分前にそっくりそのままの形で、すべての非実在の過去を住民が「覚えていた」状態で突然出現した、という仮説に論理的不可能性はまったくない。
異なる時間に生じた出来事間には、いかなる論理的必然的な結びつきもない。
それゆえ、いま起こりつつあることや未来に起こるであろうことが、世界は五分前に始まったという仮説を反駁することはまったくできない。
したがって、過去の知識と呼ばれている出来事は過去とは論理的に独立である。
そうした知識は、たとえ過去が存在しなかったとしても、理論的にはいまこうであるのと同じであるような現在の内容へと完全に分析可能なのである
—ラッセル "The Analysis of Mind" (1971) pp-159-160: 竹尾 『心の分析』 (1993)
「この木は芽が出てから今年で12年になる、だから年輪が12本ある」
このような言い方も日常でもよくするが、年輪が12本あるという事実を「結果」とみなせば、これに対応する「原因」が位置すべき過去が存在するはずだとは主張し得るものの、このような主張もまた完全に証明することはできない(もちろん反証することもできない)。
これは世界5分前仮説の場合と同様の理由による。
それは因果律である。
因果律というのは論理的な必然性から導かれたものではなく、日頃の経験から無意識的にそれを前提として思考しているという類の仮定であり、因果律自体を論理的必然から導くことは出来ない。
これはつまり「違う時刻に起きた二つの現象の間にはある種の関係がなければならない」ということを論理的な必然性だけからは導けないという事である。
そのため、今起きている事やこれから起きることをどれだけ調べても、それによって過去の出来事を完全に証明または反証する、ということは(厳密に考えると)不可能である。
掲載はここまで==================
「非科学的を証明できない」ということは、「科学的ではないということにはならない」ということです。
「疑わしきは罰せず」に似ています。
しかしながら、宇宙の全てはエネルギーでできていることは科学的証明された事実です。
では、佐藤康行(YS)メソッドがどのように実証できるのか、ここからさらに追究していきます。
では、また明日。
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