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所長マイクのブログ,2019年ブログ2019/09/14
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減薬・断薬の方法 23 「真我の愛」
真我の愛
一般に、「楽しかった」「嬉しかった」「助かった」記憶は良い思い出でありプラスの記憶と感じます。
逆に、「辛かった」「苦しかった」「悲しかった」記憶はマイナスに感じるものです。
出来事に紐付いた「感情を変える」というと、マイナス感情をプラスに変えると理解される場合が殆どでしょう。
しかし、そうではありません。
マイナス感情をプラス感情へ変えるのではないのです。
なぜなら、プラスもマイナスも感情としては同じだからです。
プラスとマイナス、その境目はどこにあるでしょうか?
その人の中にあります。
ある人にとっては、楽しいと感じることが、別の人には苦痛に感じるなんてことはざらにあります。
身体を動かすことが好きな人、嫌いな人。
読書が好きな人、嫌いな人。
人と会うことが好きな人、嫌いな人。
つまり、プラスに感じようがマイナスに感じようが感情というのは、その人の五感、認識に過ぎないということです。
人はおかれた環境、状況、心の状態によって、同じことでも感じ方が変わります。
認識というのは正解が無く、どこまで行ってもその人が認めた部分です。
これを、「三日月」状態と言います。
夜空に浮ぶ三日月。
どう見ても、「三日月」です。
そのように見える。
これが認識です。
しかし月の実体はまんまる。
これが真実。
しかし認識ではまんまるに見えません。
認識では実体を見ることができないのです。
感情というのは認識ですので、実体をとらえているわけではありません。
実体が何かと言えば、真我です。
本当の自分です。
出来事を認識では無く、真実として捉えることができるのは「神の心」「仏の心」だけです。
これは、どのように反論があろうとも、認めることができなかろうが、関係ありません。
月の実体は常にまんまる。
人間の実体は真我。
どのように欠けて見えたとしても、常にまんまる、真我そのもの。
まんまるが現われると、三日月は自然と消える。
真我が顕現されると、過去の感情が変わります。
マイナス感情もプラス感情も、真我の心に変わるのです。
真我の心、神の心、仏の心。
その感情レベルは、「真我の愛」「神の愛」「仏の愛」です。
つまり、過去の記憶として出来事に紐付けられたマイナス、プラスの感情が、「真我の愛」「神の愛」「仏の愛」に変わるのです。
変わると言うより、もとに戻るのです。
全ての出来事は人間の認識レベルの感情でどのように捉えたとしても、常に、「真我の愛」であり「神の愛」の出来事だということです。
これを前提にして、いよいよ佐藤康行メソッドの中核である、真我開発の具体的な方法論を紐解いて行きます。
では、また明日。
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